教会案内

津島佐織キリスト教会は、ドイツのジャーマン・アライアンス宣教団と、同盟福音基督教会の支援によって生まれました。

私たちは、聖書を「誤りのない神のことば」と信じ、聖書の福音(ふくいん)を宣(の)べ伝える、正統的なプロテスタントのキリスト教会です。特に、聖書を字義通りに読むことを心がけています。

はじめての方、関心のある方、どなたでもご自由にお越しください。
あなたを心からお待ちしています。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。 それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、 永遠のいのちを持つためである。
『聖書 新改訳2017』 ヨハネの福音書 第3章16節

聖書とは

私たちが言う「聖書」とは、旧約聖書39巻と新約聖書27巻、合計66巻の書のことです。旧約聖書はヘブル語(ヘブライ語とも言います)と一部はアラム語で、新約聖書はギリシア語で書かれました。

この聖書は、神の栄光を現すために書かれました。直接的には、紀元前1500年頃~紀元100年頃の間に、約40人の人々の手によって、それぞれの書が書かれました。しかし、聖書の原本が書かれたときだけ、聖霊(せいれい)なる神様に導かれて誤りなく書かれたと私たちは信じています。現在、原本は失われていて、数多くの写本だけが存在しています。写本や翻訳にはわずかに誤りが含まれていますが、重要な教理に影響することはありませんので、安心して手元の翻訳聖書を読むことができます。

聖書の神様とは

聖書に書かれている神様とは、この世界、天と地と海と、その中にいるすべての生き物を設計され、創造されたお方です。私たちのいのちも、この方によって創造されました。この方によらずに出来たものは、何一つありません。自然界の法則もすべて、この方によって創造されました。たとえ私たち人間がどんなに優れた科学技術を持ったとしても、それは、神様によって創造された自然法則を利用させていただいたおかげなのです。

また、この神様が、雨を降らせて、食物を実らせてくださるおかげで、私たち人間は食べる楽しみを味わうことができるのです。食事の楽しみとは、神様から与えられた恵みなのです。

聖書の神様の特徴の一つは、専門用語で言えば「三位一体(さんみいったい)」であることです。「三位一体」という概念を簡単に定義すれば、「神は、実体において唯一の神でありつつ、父と子と聖霊(せいれい)という三つの位格(いかく)において存在する」となります。このような存在は、自然界には存在しませんので、自然界の何かと比較して、この「三位一体」という概念を理解しようとしても、それは不可能なのです。

ただ、この神様の関係を愛によって説明することはできます。つまり、父と子と聖霊は、世界が創造される前から、お互いに完全な愛で愛し合っておられる、ということです。そして、神様にとって不足しているものは何もないので、人間を創造する必要もありませんでした。それでも、神様は人間を創造されました。それは、神様がそれを望まれたからです。まさに、人間は神様に望まれて生まれてきたのです。私たち一人ひとりも神様に望まれて生まれてきたのです。

神様の特に重要なご性質は、愛・聖(きよさ)・義(ただしさ)の三つです。これらのご性質は一体不可分のものであり、聖書を理解する上で忘れてはならないものです。

また神様は、全知全能であり、時間と空間を超越しておられ、無限であり、遍在でもあられます。私たちがそのお姿を直接目で見ることはできません。

また神様は、人間にとっては王様であり、人間は臣民(しんみん)として創造されました。そして、神様は歴史を支配しておられ、永遠に変わることのないお方なので、私たちは神様の数々の約束に対しても、神様ご自身に対しても、全幅の信頼を置くことができるのです。「神を信じる」とは「神様を人格的に信頼する」という意味です。

また、聖書の世界観は「神中心主義」あるいは「神第一主義」です。この世の「人間中心主義」という世界観で聖書を読んでしまわないように注意する必要があります。

福音とは

福音(ふくいん)とは「嬉しい知らせ」「良いおとずれ」という意味です。

福音の価値を知るためには、私たち人間が王である神様の前では罪人(つみびと)であることを自覚する必要があります。

王なる神様は私たち人間に対し、多くの恵みを与えてくださっているのですが、その王である神様に対し、私たち人間は、感謝するどころか、無視したり、意図的に反抗して生きています。だから私たちは、生まれつきのままでは、有罪判決を受けるべき人間、すなわち罪人なのです。――「罪」とは「神様の御心(みこころ)に反するすべて」です。

しかし、神様はそんな私たちを、ただちに消し去ったりはなさいません。なぜなら、神様は人間のだれよりも忍耐して、私たちが神様のもとへ帰るのを待っていてくださるからです。もし神様が忍耐心のないお方であれば、世界に人間は一人も存在できないでしょう。

さて、神様はすべてをご存じなので、世界を創造される前から、人間が罪を犯して神様から離れた生き方をすることを、知っておられました。そこで、人間を罪から救うご計画をあらかじめ立てられました。

そして今から約2000年前には、旧約聖書の中で「必ず来られる」と預言されていた救い主(すくいぬし)が、この世に遣わされました。それが「神の子、イエス・キリスト」と呼ばれるお方です。

イエス様は、旧約聖書の中で預言されていたとおりに、私たちの身代わりとなって十字架の上で死んでくださいました。本来は私たち一人ひとりが受けるべき神様の御怒りの刑罰を、イエス様が代わりに受けて死んでくださったのです。そして、墓に葬られました。しかし、三日目によみがえられて、今も文字通り生きておられます。これが「福音」です。

私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと
『聖書 新改訳2017』 コリント人への手紙 第一 第15章3~4節

私たちはだれでも、この福音を本気で受け取り、「このイエス様こそ私の救い主です」と心からイエス様を信頼するなら、その時、私たちの罪はすべて赦されます。そして、その人に対して、神様は実に多くの祝福を与えてくださいます。特に、すぐに与えられる祝福は「むなしさからの解放」、そして「心の平安」です。また、自分の人生の意味や目的も見出せます。神様が一人ひとりに個性や才能という異なった賜物を与えておられるからです。さらに、信頼した人には「神の王国」で永遠に生きられることが保証されています。そのほかにも、様々な祝福を見出すことができるでしょう。

どうか、イエス様に信頼を置くことにより、一人でも多くの方が、罪の赦しを受け取り、心の平安をいただけますように、心から願っています。

聖書を字義通りに読むとは

「字義通りに読む」とは、最も自然な読み方をするという意味です。比喩(ひゆ)は比喩として読み、象徴的なことばは象徴的なことばとして読み、それ以外は、どんなに信じがたいことでも、文字通りに読むということです。

その理由を一言で言えば、神様が愛だからです。神様は愛なので、だれもが理解できるようにご自分のことばを啓示されました。それが聖書です。それゆえ、聖書は最初から最後まで一貫して字義通りに読めば、神様の意図が正確に理解できるのです。